干瓢

 下野市の名産品かんぴょう、干瓢との標記が一般的だが乾瓢とも表す。そのかんぴょう、今年は江戸時代中期(1712年)に鳥居忠秀という殿様が近江水口藩(現滋賀県甲賀郡水口町)から下野壬生藩に国替してきた際に、水口でひろく栽培されていたかんぴょうを壬生に紹介し、栽培を奨励したことに始まるとされています。今年はかんぴょう伝来300年の記念すべき年という訳です。
 歌川広重東海道五十三次之内 水口」には「名物干瓢」の図がある。国立国会図書館蔵や東京富士美術館蔵が知られる。鈴木其一という江戸琳派の画家には「干瓢干し図」という江戸後期とみられる作品がある(静岡県立美術館蔵)そうで、私たちを楽しませる。
 北原白州が詞を作り、福井文彦が作曲した「かんぴょう」というテンポの早い詩がある。(福井文彦は東北大学宮城教育大学で教授を務め、その間に多くの中・高等学校の「校歌」を作・編曲した)お馴染は「干瓢音頭と踊り」で壬生町藤井地区には干瓢音頭保存会は活動をしている。
 さてそのかんぴょう。平成22年秋口、栃木県が取り組む「食の回廊」に上三川下野市そして壬生に至るこの地域を「歴史とロマンのかんぴょう街道」として県下10番目の食の回廊が実現しました。干瓢伝来300年、その年に食の街道の誕生、地場産の干瓢、大事にしていきたいものです。